店長の耳塚です
こんにちは。ふと思い立ち、店長ブログを書くことにしました。
まずは改めて、私の自己紹介から。
現在38歳、1児の母。
実家のテンペ屋で働いています。
元々実家は、「モタイきのこ園」というえのき農家でした。
親が家にいることが当たり前、モノを作って売ることが当たり前という環境で育ち、
なんとなく私も子どもと居られるように家で働けたらいいな~と漠然と思ったことはありましたが、
絶対に自営業がいいと思っていたわけでもなく、ごくごく普通に暮らしていました。
高校卒業と共に英語の勉強をするため名古屋へ。そしてイギリスに語学留学。
その後は数年名古屋で旅行会社に勤務。
そんな自由気ままな日々を過ごしていましたが
家族と離れて過ごす日々に違和感を感じはじめ、安曇野に帰郷しました。
安曇野では英語を使えるという理由でパソコンメーカーの調達の仕事に就き、
そこの先輩の紹介で出会った夫と結婚。
そして妊娠を機に退職。
私がこんな人生を送っている中で、父はテンペ屋になっていました。
父がなぜテンペ屋になったのかという話は、またお話するとして…
息子が2歳になった頃、父に病気が発覚しました。
悪性リンパ腫。血液のがんです。
その頃には父はえのきの製造は完全にやめてテンペ1本で家族の生活を支えていました。
数年前から県内に大きなえのき工場が増え、えのきの価格は暴落。
うちのような小さなえのき屋はどんどんとつぶれていったのです。
そんな中で父はテンペに舵を切った訳ですが…
父の病気が発覚した時、当たり前にえのき時代の借金、
そしてテンペ事業の初期投資の支払いが残っていました。
さて、どうするか。
私も家族も最初は全てを手放して借金返済に充てることを検討しました。
弁護士の先生に相談したり、土地の見積もりをしたり。
でも当たり前ですが、その後も生きていかなくてはいけません。
父の治療費も必要だし、実家の家族の生活はどうなるのかと眠れない日々が続きました。
そして何より、ここまで作り上げた父のテンペがなくなってしまう。
それがすごく悲しかった。
その当時、私自身はテンペにそこまで思い入れがあった訳ではなかったのですが、
父がどれだけ真剣にテンペを作っていたかは知っていました。
そこで私はある決断をします。
長くなってしまったので、続きはまた次回…
2026-11-05 21:13




